まったくもってスピリチュアルな話ではなく
ハリーでもない。
観察・推測・実証・経験の蓄積
それらが積み重なると『意思疎通』ができる。
双方向の交流=会話の話です。
言葉を使ったものと比べてそれは
当然曖昧で正確さにはかけます。
それでも、空気と会話するから天気予報ができ、
植物と会話するから、必要な管理がわかる。
動物と会話するから仲良くなれる。
石と会話するから辿ってきた歴史が読み取れ、
フライパンの熱し具合がわかる。
まだ言葉の出ない子どもとの意思疎通ができる。
送ってくる情報「信号』を理解できなければ
会話が成立せず、理解できれば成立する。
そのシステムは『言語』です。
ハート君を「言葉を解する猫」
(科学的には場をよく読む猫)として紹介しました。
言葉のニュアンス・選択・音への反応
言葉を解する人間でもそれぞれに受け取り方が違って、簡単に誤解が生まれます。
円滑なコミュニケーションには言葉だけではなく、
場を読んで行動することの方が大切だったりします。
かなり性格に「場」を読む能力があれば、
それは「行動」としては言葉を解することとあまり差がないように思われます。
脳の働きとしては違うのでしょうし、「言葉」ではないのでしょうが。
『言語』ではある気がします。
娘には庭にいる私が
「動物ならともかく崖とも草とも蜂とも会話している」
様に見えるそうです。
自然派?なわけではなく、観察し推測し、
つい、確認しながらぶつぶついっているだけです。(変な人?)
理解を示し、興味をしめし、愛情を示すものに、生物は寄ってきます。
情報を受けとる気持ちがあるかないか。
情報を理解できるか。
情報を曲げてしまったりしないか。
情報を活かすことができるか。
それは結局「信号」であっても「言葉」であっても
受け取る側にその気があるかないか。
私にはコミュニケーションにおいて
人間と自然の間に差はそんなにないような気がします。
「言葉」を話せるが故に言葉に囚われている。
人と人がうまくいかないのはそんなところに原因があるのかもしれません。
『目は口ほどにものを言う』
きっと気がついていないわけではないのでしょうが。
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